2012.07.15 (Sun)
平清盛「友の子、友の妻」
九州は凄い豪雨になって、被害もでているみたい
早く治まって欲しいものです。
さて今日は日曜日、清盛でございます。
まもなくオリンピックが始まって、放送がどうなりますか
心配しても仕方ないので、今日も始めますよ
番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒★
前回までの解説と新相関図はこちら⇒★
先週は、清盛と義朝が対決して決着がつきましたが、違和感が残りましたね
なんでかと言うと、今週の内容になるんですが
平家は源氏を追い詰めて、子供も全て殺す為に探し回るのですよ
それなら清盛は、あそこで義朝の首を刎ねるべきですよね
ま、そこは深く追求せずに楽しみましょうか
まず源義朝の一族をもう一度、振り返ります。

ドラマの中では前妻が由良御前で、最初の子が頼朝のような演出になって
ますが、実は頼朝は三男で、その前に義朝が東国へ修行に行った時、二人
の子供ができてて、その名を長男が源義平、次男が源朝長(トモナガ)と
言って、東国で活躍してました。
平治の乱の時は二人共、父親と一緒に戦いましたが敗れてしまいます。
源義朝は、一旦東国へ落延びて兵を集め建て直し、再度平家を攻めようと
東国めざし逃げていきます。しかし落ち武者狩りに逢い、大叔父の義孝は
死に、次男の朝長も足を負傷してしまい、少ない人数で逃げることになった
のです。その時には、義平、朝長、頼朝、正清も一緒でした。
逃避ルートは比叡山から八瀬の松原、そして琵琶湖に出て、義朝の妾のいる
美濃国の青墓宿に着き、一息入れるのです。
今後の行動については、義朝は東海道から伊豆に行って味方を集め、義平は
中山道から飛騨国へ、朝長と頼朝は信州へ行って兵を集めよと指示するのです。
![256px-地図_令制国_美濃国.svg[1]](https://blog-imgs-55-origin.fc2.com/a/j/i/ajimeguri780/20120714174154297.png)
地図 令制国 美濃国より
子供達が先に出発したのですが、雪の中で頼朝は逸れてしまい、朝長は足の
痛みで青墓に戻ってしまいます。
朝長は、いづれは平家の追手が来るだろうから、このままでは捕まって生き恥
をさらす事になるので、「父の手によって最後を遂げたい」と父の義朝に訴え
状況的に無理と判断した義朝は、朝長を泣く泣くその首を刎ねたのです。
何としても生き延びようと、義朝は鎌田正清と二人だけで、正清の舅の長田忠致
を尋ねるのですが、裏切られて二人はここで絶命するのです。
これが義朝の最後でした。
残ったのは頼朝と義平の二人
頼朝は雪の中を彷徨い、結局青墓宿に戻り匿ってもらい過ごしますが、やはり
見つかって清盛の所へ連れて行かれます。
もう一人の義平は、駿河国に着き兵を集め京の都に向かいますが、義朝が殺さ
れたと聞くと周りの兵が逃げてしまい、一人になってしまいます。
せめて清盛か重盛だけでも討ちたいと、化けて潜むのですが結局見つかってし
まい首を刎ねられます。
最後に残った頼朝は当然、他の子供達と一緒に首を刎ねられるはずでした。
清盛は生かしておくと、父の仇と向かってくるので、当時としては皆殺し
が普通でしたので、そうするつもりだったのです。
ところが、清盛の義母、池禅尼が頼朝の助命を清盛に嘆願するのです。
清盛は最初は迷ったそうですが、池禅尼が断食で訴えたために折れたようです。
その理由は、頼朝が自分の死んだ息子の家盛に似ていたからと言われてます。
本当はそれだけでなく、頼朝は母の位が高いためにバックからの力が働いたの
だろうとも言われてます。
常盤御前は、最後は清盛の妾となり子供を生んでいます。
手が早いな~~~あははは
ところで面白い話を見つけました。
義平が最後に、難波経房に首を刎ねられるとき
義平「上手く斬れ!、まずく斬ったら喰らいついてやる」
経房「首を斬られた者が、どうして喰らいつけるか」
義平「雷になって蹴り殺してやるのだ」
と言って斬首されたらしいのですが、それから8年後
経房は清盛が神戸の布引の滝を見物に行った際のお伴をしたのですが
その時、雷に討たれて死んだらしいのです。
その絵がこれ!

悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)
どこだろう、行って探して見なくては!
ポチツっと応援してね
早く治まって欲しいものです。
さて今日は日曜日、清盛でございます。
まもなくオリンピックが始まって、放送がどうなりますか
心配しても仕方ないので、今日も始めますよ
番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒★
前回までの解説と新相関図はこちら⇒★
先週は、清盛と義朝が対決して決着がつきましたが、違和感が残りましたね
なんでかと言うと、今週の内容になるんですが
平家は源氏を追い詰めて、子供も全て殺す為に探し回るのですよ
それなら清盛は、あそこで義朝の首を刎ねるべきですよね
ま、そこは深く追求せずに楽しみましょうか
まず源義朝の一族をもう一度、振り返ります。

ドラマの中では前妻が由良御前で、最初の子が頼朝のような演出になって
ますが、実は頼朝は三男で、その前に義朝が東国へ修行に行った時、二人
の子供ができてて、その名を長男が源義平、次男が源朝長(トモナガ)と
言って、東国で活躍してました。
平治の乱の時は二人共、父親と一緒に戦いましたが敗れてしまいます。
源義朝は、一旦東国へ落延びて兵を集め建て直し、再度平家を攻めようと
東国めざし逃げていきます。しかし落ち武者狩りに逢い、大叔父の義孝は
死に、次男の朝長も足を負傷してしまい、少ない人数で逃げることになった
のです。その時には、義平、朝長、頼朝、正清も一緒でした。
逃避ルートは比叡山から八瀬の松原、そして琵琶湖に出て、義朝の妾のいる
美濃国の青墓宿に着き、一息入れるのです。
今後の行動については、義朝は東海道から伊豆に行って味方を集め、義平は
中山道から飛騨国へ、朝長と頼朝は信州へ行って兵を集めよと指示するのです。
![256px-地図_令制国_美濃国.svg[1]](https://blog-imgs-55-origin.fc2.com/a/j/i/ajimeguri780/20120714174154297.png)
地図 令制国 美濃国より
子供達が先に出発したのですが、雪の中で頼朝は逸れてしまい、朝長は足の
痛みで青墓に戻ってしまいます。
朝長は、いづれは平家の追手が来るだろうから、このままでは捕まって生き恥
をさらす事になるので、「父の手によって最後を遂げたい」と父の義朝に訴え
状況的に無理と判断した義朝は、朝長を泣く泣くその首を刎ねたのです。
何としても生き延びようと、義朝は鎌田正清と二人だけで、正清の舅の長田忠致
を尋ねるのですが、裏切られて二人はここで絶命するのです。
これが義朝の最後でした。
残ったのは頼朝と義平の二人
頼朝は雪の中を彷徨い、結局青墓宿に戻り匿ってもらい過ごしますが、やはり
見つかって清盛の所へ連れて行かれます。
もう一人の義平は、駿河国に着き兵を集め京の都に向かいますが、義朝が殺さ
れたと聞くと周りの兵が逃げてしまい、一人になってしまいます。
せめて清盛か重盛だけでも討ちたいと、化けて潜むのですが結局見つかってし
まい首を刎ねられます。
最後に残った頼朝は当然、他の子供達と一緒に首を刎ねられるはずでした。
清盛は生かしておくと、父の仇と向かってくるので、当時としては皆殺し
が普通でしたので、そうするつもりだったのです。
ところが、清盛の義母、池禅尼が頼朝の助命を清盛に嘆願するのです。
清盛は最初は迷ったそうですが、池禅尼が断食で訴えたために折れたようです。
その理由は、頼朝が自分の死んだ息子の家盛に似ていたからと言われてます。
本当はそれだけでなく、頼朝は母の位が高いためにバックからの力が働いたの
だろうとも言われてます。
常盤御前は、最後は清盛の妾となり子供を生んでいます。
手が早いな~~~あははは
ところで面白い話を見つけました。
義平が最後に、難波経房に首を刎ねられるとき
義平「上手く斬れ!、まずく斬ったら喰らいついてやる」
経房「首を斬られた者が、どうして喰らいつけるか」
義平「雷になって蹴り殺してやるのだ」
と言って斬首されたらしいのですが、それから8年後
経房は清盛が神戸の布引の滝を見物に行った際のお伴をしたのですが
その時、雷に討たれて死んだらしいのです。
その絵がこれ!

悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)
どこだろう、行って探して見なくては!
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そうやね
僕も清盛の郎党になれますかね・・・あははは
最後の話、面白いでしょ
しかも、その場所が僕の家の近くなんですよ
清盛がどこを見て、経房がどの場所で雷に討たれた
のか知りたくなりましてね
ちょっと追っかけてみようかな、なんて思ってます。
僕も清盛の郎党になれますかね・・・あははは
最後の話、面白いでしょ
しかも、その場所が僕の家の近くなんですよ
清盛がどこを見て、経房がどの場所で雷に討たれた
のか知りたくなりましてね
ちょっと追っかけてみようかな、なんて思ってます。
メタボ夫婦 |
2012.07.16(月) 10:33 | URL |
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朴の身体にはどっちつかずのムシが多すぎて困ります。
チョッとかじってはポィ! 先も無いからボケ~っと生きます^^;
真意の程は分かりませんが、最後の話は面白いね。
性格が執念深いのか、ここまでくると絵にしたくなりますね~