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2012.09.02 (Sun)

平清盛 今日は雑談

今日の大河ドラマ「平清盛」は第34回「白河院の伝言」

今日の内容は、このドラマ特有の話で現実の話とは別物ですので
ドラマとしてお楽しみください。

という事で今日の記事は神戸と源平合戦と言う内容です。
僕が平清盛の事を知ったのが3年前、それまでに源平の事で知ってた事は
①須磨、一の谷で逆落としがあったということ
②鞍馬の義経、五条の大橋で弁慶に勝った
それくらで、平清盛も名前だけ知ってるくらいでした。
余りにも知らなさ過ぎ、おかしいんとちゃう?

子供の頃、よっぽど勉強せんかったんか・・と言われたら、そのとおり
歴史って大嫌いでした・・・・あははは
或いは、学校が理由があって教えなかったのか(直ぐ学校のせいにする・笑)

どっちなんだろう?と思うんですが、子供の時に教えて貰ったことは、意外と
覚えてるもんですよ
今なら覚えた事は、1分で忘れるけどね・・・・んんんん、分かる

今年の神戸はちょっと狂ってる位、平清盛が出てきます。
002_convert_20120901153403.jpg
毎年やってる神戸観光の日、今年のテーマは平清盛
福原遷都とか平敦盛の話が載ってます。

ところが、あの一の谷合戦についての話は殆ど出てこないんです。
源氏に負けて気分悪い内容やから???
観光とは別の所で、凄いパネル数で説明が突然出るくらい


それで一の谷の合戦に絞って調べたら、有る推測が出てきたんです。

今日はその話
神戸市の一の谷合戦要図です。
genpei_ichizu[1]_convert_20120901131334
須磨寺の資料からお借りしました。

上の図は神戸市の図で、現在の神戸の中心、三宮(さんのみや)は右端の上の方です。
赤丸が清盛が都をつくろうとした福原になります。

問題は、あの有名な逆落としはどこであった?と言うこと

最初に書いた、現在の須磨一の谷は緑の□の場所です。
ここは写真のように、右側は断崖絶壁で左は海、平地が殆ど有りません。
義経がこの近くから強襲を掛けたというのが、今までの説でした。
027_convert_20120315220719.jpg

その時の様子を書いた絵で、源義経らが駆け下りてるところ
ウォ~~
422px-Sakaotosi[1]_convert_20120902083712

この場所が、緑の□で囲んだ須磨一の谷だと言われたんですね

もう一つ須磨を印象付ける話
一の谷合戦で有名な、平敦盛と熊谷直実との一騎打ち
この砂浜の様な場所は、現在の神戸では須磨しかないのです。
800px-Taira_no_AtsumoriKumagai_Naozane[1]_convert_20120901171034

須磨浦公園にある、敗れた平敦盛の碑
030_convert_20120315220817.jpg
この近くには、須磨寺があって敦盛の「青葉の笛」(国宝)もあります。


でもね、「須磨一ノ谷の逆落とし」って昔の書物のどこにも書いてないらしいのです。
京都の屏風祭りで見つけた鵯越の逆落とし
035_convert_20110716215913.jpg
そう、平家物語、吾妻鏡、玉葉と鎌倉時代の書物のいづれも「鵯越の逆落とし」
そうすると、現在の鵯越は福原の後ろの茶色のひし形の部分になるのです。

全然が場所が違う
僕としては歩いてみて想像するに、やはり現在の鵯越が逆落としのあった場所
ではないかと思うのです。

記録ではっきりしているのは、一の谷の後ろに鵯越があったという事
だから最初の説では現在の一の谷の後ろに鵯越という所があったのだと言ってます。
ほんま???
かなり無理があるように思えるんですけどね

だけどこの説で、今までの史跡や映画のストーリー、観光案内されてきたのです。
今更、変えることなんかできない・・・・ですね


一の谷の戦で、平家が作った東側の木戸(城戸)での戦い
上の地図で言うと、右上の白黒の源軍と平軍がずらっと並んだところ
これはどこかと言うと、下の写真の左側にちょっとだけ写ってる
生田川であって、真ん中が清少納言が歌を詠んだ生田の森になるんですね
この辺りで平家と源氏の大群が戦ったんです。
説明

その様子の屏風絵がこれ
ちょっと小さいね
genpei_s[1]_convert_20120901145411
この東側(東木戸)については皆さん意見が一致します
でもね、西木戸が違うんですね

今までは緑の□の場所ですが、も一つの説は、もう少し右側の茶色のライン

どっちょでしょうね

普通に考えたら、須磨一の谷説には疑問が出てきます。
①こんな狭いところに、平忠度は兵1万で源氏を迎えた?(どこにそんな場所が有る?)
②逆落としは奇襲攻撃だのに、平家の本陣が福原なら遠過ぎる
③福原から、東木戸の距離と同じ様に、構えた距離なら茶色のラインが普通
   須磨なら距離が遠すぎて防御にならない・・・特に遠い理由が分からない
素人が考えても、これだけ出てきます。

余り長く説明すると終わりませんけど、こういう話があって黙ってた
んじゃないだろうかと思うんです。
コレは須磨区と兵庫区の話になりますが、神戸市としては同じ市内
夫々の観光協会もありますし、須磨にはこれで商売されてる方もいます。
映画もこの須磨であったという事で撮られてますし、最近のTVで
「ザ・今夜はヒストリー」でも逆落としは須磨で紹介されてました。


今の尖閣諸島や竹島問題のように、他府県に跨った問題なら主張し合い
大問題になったと思うんですが、同じ神戸市内、教育委員会としても
知らなかった事にして、そっとしておこう・・・かな?

結論として、僕が勉強しなかっただけじゃなく、学校も市もみんな
教えなかったんだ。触れたくなかったと言うのが正解じゃないのでしょうか
それが今の神戸観光の内容にも入ってこない原因と考えるのは、僕だけでしょうか?


反対に須磨の方は、現在あらゆる観光施設でこの難しい問題を沢山のパネル
を使って正当性を紹介されてますが、一般市民としては、何の話?と無関心
の方が多いように感じます。


自分が知らなかった事について、このように他人の責任にして結論付け
ました。当ってるやろか・・・あははは
この話の主役、源義経はどんなやつだったんだろう
興味が湧いて来ました。

皆さんの地域で史跡や国宝の話が、確証は無いんだけど実は違うという話が
出てきたらどうされますかね・・・そんなの信じるかぁって・・・そうやね


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テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

09:02  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

*Comment

歴史は時の権益者により都合の良いように解釈される傾向があるようです。

古事記なんてのはあからさまですね。
西日本に地方豪族が乱立し、交通手段も船が主力だった時代の
日向や出雲が舞台になっているのは書かれた時代の権力者の作為が丸見えです。
口述による伝承は事実に基づいていた部分もあるのでしょうが、
それに都合の良いように無理やりの装飾が施されているように感じます。
ここに来て史跡の発掘が進んできたので古代の新たなロマンが展開してきそうです。

混沌とした今だからこそ、歴史を振り返ることが
未来を考えるときに重要なことかもしれません… 温故知新。
ちゅんご |  2012.09.02(日) 10:22 |  URL |  【コメント編集】

■ちゅんごさん

昔の記録ってのも、人が書いた以上
その時代の権力者の影響が大きいのは十分理解できますね

この一の谷の話も、頼朝と義経の関係が重要で
この書物が書かれた時代の義経は頼朝に追われの身
だから当時の一の谷で関わった人や記録は、全て隠した
らしいのです。

だから平家物語等はその部分が空想の世界の記録と
なって残っていったようなんですが、今になってその隠した
記録が出てきたと言うのが、真相なんだそうです。

歴史は、もう一度真実を自分自身で調べてみると
考え方が代わるかもしれませんね
メタボ夫婦 |  2012.09.02(日) 22:16 |  URL |  【コメント編集】

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